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次の日を楽しみに、イキイキと生きられる社会へ――福田竹志が、「人」の会社で働くワケ

Interview

「人で、世界一になる」ことを目指す株式会社リクルートキャリア。まさにこれから創られていくこの場所では、社員一人ひとりが主人公です。今回は、「リクナビNEXT」のプロジェクトマネージャーとして事業を統括する、福田竹志のストーリーをお届けします。

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「なぜ大人たちは、こんなに暗い目で会社に向かうのか」大学生の時に感じた素朴な疑問

多くの大人たちが、ニュースを横目に「日本はなぜこうなんだ」「だからこの政権はダメなんだ」などと愚痴をこぼし合いながら、うつむき加減に通勤路を急ぐ――。駅前で毎日、当たり前のように繰り広げられるその光景に、強い疑問を感じていた一人の男子大学生がいました。

「なぜ誰もが、毎日こんな死んだ魚のような目をして会社に行かなければならないんだろう」

当時大学3年生だった福田竹志は、ある市議会議員のもとでインターンにはげんでいました。毎朝駅前に立って、道を急ぐ人にビラを配るうち、その疑問はどんどん膨れ上がるばかり。

「どうすれば人は、次の日を楽しみにイキイキと生きられるのだろうか?」

そしてその気持ちは、翌年発生した9.11のテロによってさらに大きくなりました。福田は大学を11ケ月間休学して、世界のさまざまな地域を、片っ端から訪れます。ときにはアイデンティティの象徴として“国旗”を作りたいと思い立ち、各地の美術館を巡ったり、ときにはパラグアイのバナナ農園で自給自足の生活をしたり……。

それでも当時はまだ、何かひとつのことを成し遂げたい、特定の職業につきたい、などの明確な目標が生まれたわけではありませんでした。心の中にもやもやとした疑問を抱えたまま、次のインターン先としてたまたま出会った企業が、株式会社リクルート。

そのリクルートに勤める社員たちの姿勢が、福田の目には新鮮に映ったといいます。彼らはどんな話をしていても、必ずこう問いかけてきたからです。

「確かに今の社会はダメかもしれない。それでも、僕たちはこんなことを考えているんだけど、キミはどう思う?」と。

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自分の仕事によって、人が変わり、社会が動く手応えをつかむ

2004年、福田は大学を卒業し、正式にリクルートのメンバーとなりました。就職活動では他業種の企業もいくつか回りましたが、うまくいく未来像を思い描けず、選考の途中で自分からすべて辞退したのだといいます。

将来に向けたキャリアステップは、すでに希望として固まっていました。何か特定のことに取り組みたいというよりも、彼がイメージしていたのは「売る人」から「作る人」へ、そして最終的には「まとめる人」になること。入社前、配属を決める面談で、福田が伝えたのはそのキャリアイメージと、「いい上司の下につけてください」という希望だけでした。

結果的に福田が配属になったのは、いきなりの九州・熊本県。「Town Work」の新オフィス立ち上げメンバーとして、異例の抜擢をされたのです。その翌年には、同じく「Town Work」を立ち上げるために宮崎県へ。そこで福田は、自分が取り組んでいる仕事の意義をはじめて実感することになりました。

それは「Town Work」を立ち上げて数ヶ月後、人口30万人(当時)の宮崎県で、媒体経由の応募実績が1万人を超えた頃のことでした。

「すごく特徴的で印象に残っているのは、40代の主婦の方の声です。『Town Work』でパートの仕事を見つけて働くようになり、立ち仕事だからダイエットにもなるし、小遣い稼ぎができて旦那の晩酌のおかずも買えるようになったと。それで夫婦仲も以前より円満になった、という……。些細な一例かもしれませんが、自分の仕事が、こうして社会や人に影響を与えているのだと知りました」(福田)

このとき福田は上長から、大切なのは志の「高さ」ではなく「強さ」であることを教えられたといいます。ここで直接的な手応えを感じたことが、リクルートで働き続ける彼の原点となったのです。

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3億円の損失、撤退を目前に、上司からかけられた思いがけないひとこと

当然のことながら、万事が順調というわけにはいきませんでした。26歳の若さで「Town Work」宮崎オフィスのマネージャーになった福田は、15名のメンバーほとんどが年上の女性である中、そのマネジメントに大苦戦することになります。

自分と同じ仕事の仕方を、メンバーにも求めるのは当然のこと。そんな考えを持っていた福田に対し、彼女たちから冷たい視線とともに返ってくる言葉は、「あなたと私は違う」「私はあなたの出世の道具ではない!」――組織が機能しないと、事業は上手くいきません。当時会社と約束したキャッシュアウトの上限額は、3億円。事業撤退のリミットまであとわずかのところまできたとき、東京の本社からついに呼び出しが……。

「もう、自分は切られるんだ」と、覚悟を決めて東京に行った福田。しかし、そんな彼を待っていたのは、経営陣からの思いがけないひとことでした。

「お前、早く俺を宮崎へ引っぱり出すくらいの失敗をしてみろよ」

入社前の面談で、自分からたった一つだけ出した「いい上司の下につきたい」という希望。自分のことを信じ、仕事を任せてくれて、最後はしっかりフォローしてくれる、理想の上司。

「こんなこと失敗のうちに入らない、と。精神的にかなり切羽詰まっていたので、そのひとことに本当に救われました。そして自ら望んだ上司の条件を、自分が実践できていなかったことに気づいたんです」(福田)

信じて、任せる。自分自身が変わっていったことで、周囲のメンバーとの関係は少しずつ改善していきました。当時、宮崎で共に働いていたメンバーのなかには、現在ベンチャー企業の社長になっている人も。彼・彼女らがさまざまな場所で活躍していることは、福田自身にとっても誇りであるようです。

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「会社」ありきではなく「自分」。ここは、社員一人ひとりに主導権がある場所

新卒でリクルートに入社して早12年。「Town Work」からスタートし、あらゆる事業やプロジェクトを渡り歩いてきた福田は、現在リクルートキャリアで「リクナビNEXT」のプロジェクトマネージャーとして事業を統括する立場にいます。

その道のりは決して平坦なものではなく、リーマンショックの影響による辛苦や、ホールディングスの経営企画へ移ってからの業務スケールのギャップなど、何度も高いハードルに直面してきました。

それでも福田は、12年間ずっと、リクルートグループ、そしてリクルートキャリアに「居続ける」選択をしています。それはなぜなのでしょうか。

「僕はまだまだ、この会社が元気であることが、社会にとっていいことだと信じられるからですね。リクルートキャリアは、人材面で従業員、そして経営者を元気づける、好循環を生み出すことができます。それも自社メディアを活用して、最大効果を発揮できる。

今、この環境で働けることの意義は大きいですよ。転職したら、求職者や顧客のためにできることを考え抜いて、成果を出せば自由を認められるこの環境が保障されると限らないし、起業したとしても、社会的なインパクトの規模が一気に小さくなってしまいますから」(福田)

しかしそれは、「会社の方向性に従う」スタンスとは少し違っています。

「そもそも、“会社”って誰なのか、という話です。僕はもちろん、社員一人ひとりが“会社”とイコールのはずなんですよ。だから、がんばって仕事で成果を出し、認められれば、自分が目指す方向性へと会社を変えていくことができる。ここはそういう場所だと思いますね」(福田)

ここでは、主語が「会社」ではなく「自分」になる。自分の目指すゴールは、自分で決めて向かっていける。福田は、かつて自分自身が思い描いた「多くの人が次の日を楽しみに、イキイキと生きられる社会」を実現するヒントを、これからもこの場所で見出そうとしています。

そして、福田のように、社員一人ひとりが「自分」としての誇りを持ち、それが集まることで、リクルートキャリアのアイデンティティが創り出されるのかもしれません。

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(TEXT by PRTable